復元のあゆみ
商館跡の現在のようす
空からみた平戸港とオランダ商館跡
平戸港の入口右側、丸で囲った部分が、平戸オランダ商館の史跡指定地です。遣唐使時代に庇羅(ひら)島の名で知られ、中世には倭寇(わこう)の根拠地であった平戸は、古くから海上交通の要地として知られていました。1550年にポルトガル船が入港すると南蛮貿易の窓口となり、1609年、わが国最初のオランダ商館が開設されました。 しかし、幕府の命によって、オランダ商館は1641年に長崎出島へ移されます。平戸での存続期間はわずか30年余り。しかも、徹底的に取り壊されたため、当時の様子は跡地に残る塀や井戸からうかがい知るしかありません。
1922年、商館の跡地は、海外貿易の拠点であったという歴史的価値が評価され、「平戸和蘭商館跡」として国史跡に指定されました。1987年から始まった発掘調査によって、建物の位置や規模が明らかにされつつあります。
商館時代の遺構
商館跡は、前面に平戸瀬戸と港を眺め、背面に急峻な山を背負い、塀、井戸、埠頭、石垣など商館時代の遺構が現存します。ここに立つと、貿易時代の風景を今でも感じることができます。
オランダ塀
江戸時代初期に平戸オランダ商館が存在していたことを最も良く示す遺構です。商館主体部と市街地の間に建てられたもので、火災や難防止、 住民の視界からさえぎることを目的として建設されたものです。
オランダ井戸
オランダ塀と共に、平戸オランダ商館を代表する現存遺構です。 現在はオランダ井戸と称され、寛政4年平戸六町図には、「阿蘭川」と記されています。築造に関する記録はありませんが、オランダ関係史料に井戸の存在を確認することができます。
オランダ埠頭
築造の年代は明らかではありませんが、1641年11月1日付の商館資産引継目録には「水門の青石造階段」とあり、ここに東インド会社所有帆船が荷降しのため、しばしば停泊していたと思われます。
常灯の鼻石垣
1616年、1618年、1639年の埋立てに伴う護岸として建造されています。1610年代に築造された石垣の多くは、その後さらに海側が埋立てられたため、発掘調査により地中に埋設していることが確認されています。