平戸オランダ商館の歴史

平戸オランダ商館の歴史

平戸オランダ商館と1639年築造倉庫

平戸オランダ商館は、1609年に江戸幕府から貿易を許可された東インド会社が、平戸城主松浦隆信公の導きによって平戸に設置した、東アジアにおける貿易拠点です。オランダ商館長日記などの記述によると、当初は土蔵の付属した住宅1軒を借りて始まり、その後、貿易が拡大するに従い、1612、1616、 1618、1623、1637、1639年に順次施設の拡大整備が行なわれました。特に、タイオワン事件(台湾での中国貿易をめぐるオランダ商館との紛争事件)によって1628年から5年間交易が途絶えた後の1637年と1639年に建設された倉庫は規模が大きく、充実した貿易の象徴でした。

1621年平戸図(オランダ中央文書館所蔵)
1621年平戸図(オランダ中央文書館所蔵)
オランダ人宣教師モンタヌスが1669年に著した「東インド会遣日使節紀行」挿絵
オランダ人宣教師モンタヌスが1669年に著した「東インド会社遣日使節紀行」挿絵

しかし、1640年11月9日、将軍徳川家光の命を受けた大目付井上政重により、1639年建造の倉庫にキリスト生誕にちなむ西暦の年号が示されているとして、当時の禁教令の下、全ての建物の破壊が命じられました。
1641年5月には、商館は長崎出島へ移転。これによって、33年間の平戸オランダ商館の歴史に幕が下ろされました。以降、跡地は平戸の町人地となり、「御船手屋敷」(船を操る人たちの屋敷)が建ち並びました。 江戸時代の絵図をみると、井戸に「阿蘭陀川」、塀に「阿蘭陀塀」と書き込まれており、商館の遺構のいくつかは江戸時代を通じてオランダの名を付して呼ばれていました。

4世紀の時を経て甦る大航海時代の建造物

1922年、跡地は「平戸和蘭商館跡」として国史跡の指定を受け、1987年からは本格的な発掘調査が開始されました。
その結果、文献史料等から断片的にしか知ることのできなかった商館が、歴史的な事実として確かめられつつあります。
平戸の歴史と文化を考える上でも重要な史跡をよりわかりやすく見てもらおうと、現在、商館施設として充実した1640年頃のオランダ商館の建物復元、環境整備を進めています。この時代は、江戸時代初期の国際貿易、キリスト教の布教・禁教など、わが国の対外政策の歴史を考える上でも重要な時期にあたります。海の町・平戸の歴史を体験できる場として、また、平戸瀬戸をのぞむ景勝地の憩いの場として、「よみがえる平戸オランダ商館」にご期待ください。

370年余りの時を経て、復元された平戸オランダ商館
370年余りの時を経て、復元された平戸オランダ商館

関連年表

1600年

大分県臼杵市にオランダ船が漂着

1602年

オランダ東インド会社設立

1609年

徳川家康からの朱印状を得て、商館が平戸に設置

1616年

倉庫1棟、果樹園、埠頭を造成

1618年

火薬庫、門番小屋など施設を増設

1621年

川内町に施設を建設

1628年

オランダ人乗組員が平戸に抑留され、貿易が中断(タイオワン事件)

1632年

貿易再開

1637年

石造り倉庫の建設、住宅の増改築

1639年

石造り倉庫の建設(現在の復元倉庫)

1640年

大目付井上越後守政重により、「1639」の年号を理由に倉庫の取り壊しを命令

1641年

その他の建物への取り壊し命令。長崎への移転命令が出され、平戸和蘭商館の歴史に幕を下ろす。

1922年

「平戸和蘭商館跡」として国の史跡に指定される。

2003年

1639年築造倉庫の発掘調査が終了

2006年

石垣の復元工事着工

2008年

1639年築造倉庫の復元工事着工

2011年

1639年築造倉庫の復元工事完成