鄭成功とアジアの海

鄭成功とアジアの海

期間:2024.7.6-9.1

鄭成功生誕400周年記念事業
「鄭成功とアジアの海」

会期:2024年7月6日(土)~9月1日(日) ※会期中無休
会場:平戸オランダ商館
主催:平戸市
主管:公益財団法人 松浦史料博物館
特別協力:台南市文化協会、鄭道總、雄香寺、藤島武雄

平戸は日本において中国大陸に近い南西端に位置し、古代より海上交通の要所であり、13世紀から16世紀初頭にかけて東アジア海において活発化した日本倭寇の根拠地でもありました。また1550年ポルトガル船が初めて平戸に入港して以来、スペイン、オランダ、イギリスと相次いで来航し、1641年までの約90年間西欧文化導入の窓口となり、日本の対外交流史において平戸は重要な役割を果たしました。西欧貿易により多種多様な物資が日本に持ち込まれましたが、日本において需要の高いものはアジア産製品で、特に中国産生糸は群を抜いていました。しかし西欧諸国は、鎖国政策を取る中国より自由に生糸を仕入れることは非常に困難でありました。そこで中国人海商(密貿易家)を介した民間の交渉、両国以外の第3地利用による形式の密貿易が次第に展開していくことになります。この中心的人物が平戸を拠点に活躍した中国人海商王直と李旦、そして鄭芝龍に引き継がれました。

この鄭芝龍と平戸藩士の娘 田川マツとの間に誕生したのが鄭成功です。鄭成功は若干7歳で単身中国へ渡海すると、21歳の時に明王より皇帝と同姓の「朱」を賜り「国姓爺」と呼ばれました。その後、「抗清復明」を掲げて清朝と戦い続けるなか、当時台湾を占拠中のオランダとの戦いに勝利すると、台湾に政府を設置し法律を定め、開拓を行い、民を養い大いに時運の挽回を図りました。しかし1662年、遂に熱病のために39歳という若さで亡くなります。現在台湾において鄭成功は民族の英雄、神様として広く信仰されています。

そこで2024年は、鄭成功が平戸で生まれて400年という記念の年に当たり、「鄭成功・オランダ東インド会社のアジア貿易・平戸藩主の中国コレクション」をテーマに特別企画展を開催いたします。